アウシュビッツ収容所に行ってきました。【Day280 – ポーランド】

2016.11.01
今回の記事は、負の遺産アウシュビッツ収容所の歴史も書いた少し重い内容となっています。
この記事をどう書き進めるか悩んでしまい、時間がかかってしまいました…!ここに書くのは基本情報と私、1号にとってすごく衝撃的だったことです。当時のほんの一部分にすぎませんが、この記事をきっかけに悲惨なホロコーストについて調べようと思って頂けると嬉しいです。
歴史を知らないといけない場所は、下調べはしていきます。といってもwikipediaがメインなんですけどね(;´Д`)今回は「wikipedia・博物館アウシュビッツ収容所の公式サイト・博物館で購入したパンフレット」、この3つで勉強です。wikipediaにいたっては、「ポーランド入国時・クラクフに移動中・アウシュビッツ収容所に移動中」の3回も読み込む1号。
1回目に読んだ時の衝撃はすごかった。ホロコーストがあったという歴史は知っていても当時の様子は知らなくて、wikipediaの情報がどこまで正しいか分からないけど、すごく重苦しい気持ちに。そして何度読んでも胸が痛む…。
以下、公式サイトの資料より(TOPページ>More>日本語、こちらから資料のダウンロードが可能です)

アウシュビッツ収容所1号、2号(ビルケナウ収容所)、3号(モノビツェ収容所)、副収容所47ヶ所があり、1940年6月から1945年1月まで活動していました。
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アウシュビッツ収容所に連行されたのは少なくとも130万人
収容所を管理していたのはナチスドイツの親衛隊(SS)で、約8,000人が任務に就いていた
連行された人の内、囚人として登録されたのは約40万人
20万人 ユダヤ 人
15万人 ポーランド人
約 2万3000人 ジプシー
約1万 2000人 ソ連軍捕虜
約2万5000人 その他の国民
約半分の20万人ほどは、重労働、 飢餓、死刑執行、病気・伝染病、 人体実験、懲罰、拷問によって亡くなりました。その他の方も別の収容所に移され、そこで亡くなった方も多数。
アウシュビッツ収容所が解放された時には、約7,000人の囚人しか残っていませんでした。
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1940年6月14日
初のアウシュビッツ収容所への連行(728人の ポーランド人政治犯)
1941年9月3日
初の毒ガス、チクロンBを使用した大量虐殺が行われる。ソ連軍捕虜、ポーランド人合わせて約850人
1942年より、ガス室を利用したユダヤ人の 大量虐殺が始まる
1945年1月27日
ソ連軍によりアウシュビッツ収容所が解放

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国立博物館アウシュビッツ収容所の訪問日と時間を指定予約し、クラクフからバスで1時間半かけてオシフィエンチウムという街へ。”アウシュビッツ”という名はドイツ語で、ポーランドでは使われないんです。
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博物館には多種多様な言語のパンフレットや本が売っています。私たちも5ズオティ(約135円)でパンフレットを購入して、カフェで一通り目を通してからの入場。このために予約より1時間も前にきていたんです。
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”ARBEIT MACHT FREI” (働けば自由になれる)
何て皮肉な言葉だろうか。人々が解放されることはないのに。
ここで収容されていた人々は毎日この門を通って労働に行き、そして帰ってくる日々を送っていたそうです。過酷な重労働・栄養不足、それに加え監視者からの懲罰があり、ほとんど動けない状態になった人を抱えて連れ帰る絵も展示してありました。
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上の門をくぐり抜けた時の第一の感想は「本当にここであの悲惨なことが起こったの?」でした。それほどレンガ造りの建物がキレイに立ち並んでいるんです。木に芝生も手入れされていて、信じられませんでした。(当時からこうキレイだったのかは分かりませんが)
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当時のものかは分かりませんが、囚人服がずらりと並ぶ光景には少し恐怖を感じてしまいました。後ろに見えるは収容された人たちの写真です。囚人として登録される人は、3枚の登録写真を撮影されるのです。横顔、正面、右上を見上げている姿。
博物館ではたくさんの方の写真が展示されていて、その方々がどうなったか(生き残ったのか、病死か、処刑されたか、不明なのか)が書かれています。
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きれいに整備されている敷地内を歩くだけだと、ホロコーストが見えてこない。
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ここは何の変哲もない壁に見えますが、ここはとても悲しい”死の壁”とも呼ばれる数千人の方が銃殺された場所なのです。
11月1日に訪問したのですが、死者のために祈る日「死者の日」を前日に控えているからか、たくさんの花にろうそくが置かれていました。
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死の壁の隣にある建物に懲罰室があります。餓死刑部屋、窒息部屋であったり、90cm四方の窓もない部屋に4人で立ったまま長時間放置される懲罰室もありました。
その他の懲罰には鞭打ちや、ご飯が減らされる上に過酷労働を強いられるたりすることもあったそうです。絞首刑にいたっては、見せしめのためにその他の収容者の前で…。
それ以外にも収容者の人数を数える点呼もありました。建物の外に並ばされるのですが、時には16時間もかかることがあったようです。また、SS隊員の気がすむまで腕をあげ続けされることも。11月初旬のポーランドでも10度あるかないかの、とても寒い地域でこんなことが行われていたのを想像すると…。
食生活はもちろんひどく、生存できた女性で30kgも体重が落ちた方も。もちろん女性特有のふっくらなんてしていなく、全身の骨という骨が浮き出た女性の姿の写真が展示されていました。
(160cm 75kg → 25kg、168cm 60kg → 35kg)
多くの展示品の中で一番心に響いたのが、遺留品でした。ガス室に入る前に脱がされ集められた大量の靴、メガネ。ガス室で殺された後に髪をそり落とされた大量の髪の毛。アウシュビッツでの新生活を期待し、持ってきた大量の家財道具。目で見てすぐに「ここで本当に虐殺が行われていたんだ」、と実感させられました。
そして驚いたことに、集められた髪はすごく安い金額で売られ、人毛の布を作っていたんです。
(1kg = 0.5マルク 当時のレートが分かりませんが、1971年で1マルク98円)
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わずか2時間ほどの見学で終わらせてしまいましたが、ドッと疲れました。
正直なところ、事前に資料を読み当時を想像している時が一番心に深い悲しみが襲ってきました。博物館はきれいで、上にも書きましたが「本当にここで?」と思ってしまったんです…。
この忘れてはいけない悲惨な事実は書籍や映画でも残されています。事前に読んだ資料、博物館で見たモノだけが全てではないと思うので、この博物館訪問だけで終わらせずにいこうと思っています。
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国立博物館アウシュビッツ収容所 → 公式サイトはコチラです
個人で見学、ガイド付き見学の2種類があり、入場料は無料ですがガイド料は発生します!日時によっては日本語でのガイドもありますよ!
繁忙期4〜10月(10〜15時はガイド付見学のみ可能)
閑散期11〜3月
時期によっては当日券の入手が難しいようなので、事前に公式サイトより入場予約をしておく方がいいみたいです。

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